麻生豊年譜
元号 | 西暦 | 事項 | 社会の出来事 |
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明治31年 | 1898 | 8月9日、大分県三重町に生まれる | |
明治38年 | 1905 | 4月、麻生小学校入学 | 5月、日本海海戦 |
大正3年 | 1914 | 3月、長洲高等小学校卒業 | 7月、第一次世界大戦勃発 |
大正4年 | 1915 | 9月、東京の築地工手学校機械科入学 | |
大正7年 | 1918 | 3月、築地工手学校機械科卒業 | 7月、米騒動発生 |
大正9年 | 1920 | 6月、北沢楽天の漫画家養成塾「漫画好楽会」に入会、『時事新報』に漫画を投稿し始める この頃のペンネームは「馳羊」 |
1月、国際連盟発足 第一次大戦後の戦後恐慌 |
大正10年 | 1921 | 3月、日本漫画通信社に入社 | 11月、原敬首相暗殺 |
大正11年 | 1922 | ペンネームの「馳羊」をやめ、本名の「豊」を使い始める | |
大正12年 | 1923 | 1月、報知新聞社に入社、漫画記者となる 4月、「報知新聞日曜漫画」欄に「呑気なとうさん」を掲載し始める 11月、「夕刊報知新聞」紙上に4コマ漫画「ノンキナトウサン」を毎日連載しはじめる(約3年間) |
9月、関東大震災 |
大正13年 | 1924 | 10月、『ノンキナトウサン』が報知新聞出版局から単行本として刊行 | |
昭和元年 | 1926 | 10月、『ノンキナトウサン』の印税で欧州旅行へ出発 | 12月、昭和改元 |
昭和2年 | 1927 | 11月、欧州から帰国。報知新聞退社 | 3月、金融恐慌発生 |
昭和3年 | 1928 | 5月、 石井夏子と結婚 | 6月、治安維持法改正 |
昭和4年 | 1929 | 8月 、読売新聞社入社 12月、読売新聞日曜版付録「読売漫画サンデー」が創刊され、政治漫画などを掲載 |
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昭和5年 | 1930 | 3月、「サンデー毎日」に「ノンキナトーサン」(6コマ)の連載開始 6月、「読売新聞」に「ノンキナトウサン」(4コマ)の連載開始 |
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昭和6年 | 1931 | 9月、満州事変勃発 | |
昭和7年 | 1932 | 1月、読売新聞社退社 2月、朝日新聞社入社 |
5月、五・一五事件 |
昭和8年 | 1933 | 5月、「朝日新聞」に「只野凡児 人生勉強」の連載開始(昭和9年7月まで) | 3月、国際連盟脱退 |
昭和9年 | 1934 | 2月、朝日新聞社の主催で四国を遍歴 | |
昭和12年 | 1937 | 7月、日中戦争はじまる | |
昭和13年 | 1938 | 4月から7月まで中国へ従軍 | 4月、国家総動員法成立 |
昭和14年 | 1939 | 朝日新聞社退社 6月、内閣情報局嘱託となる |
9月、第二次世界大戦勃発 |
昭和15年 | 1940 | 中国での戦争全面化により、軍報道班員として満州・蒙古・中国北部へ派遣される | 9月、日独伊三国同盟締結 |
昭和16年 | 1941 | 12月、太平洋戦争開戦 | |
昭和17年 | 1942 | ジャワ派遣軍報道班として従軍中、病気により内地へ送還される 5月、漫画奉公会が結成され、理事長に就任 |
6月、ミッドウェー海戦 |
昭和20年 | 1945 | 4月、「第一新聞」に「ノンキナトウサン」の連載開始 9月、日本漫画奉公会解散 銀座にアトリエ(麻生事務所)をもつ |
8月、終戦 |
昭和21年 | 1946 | 「銀座復興絵巻」を描きはじめる。以後、昭和32年まで描き続ける(全20巻) | 5月、日本国憲法公布 |
昭和24年 | 1949 | 9月、「中部日本新聞」に「むすこの時代」掲載開始 | |
昭和25年 | 1950 | 中部日本新聞社客員となる | 6月、朝鮮戦争勃発 |
昭和26年 | 1951 | 9月、サンフランシスコ講和条約調印 | |
昭和29年 | 1954 | 3月、「大分合同新聞」に「平和さん」連載開始 | |
昭和30年 | 1955 | 1月、「中部日本新聞」などに「がっちゃん」掲載開始 | |
昭和31年 | 1956 | 「魚拓の会」を同人とともに創立 | 12月、国際連合加盟 |
昭和33年 | 1958 | 浦和市(現在はさいたま市)北浦和町に新居を構える | |
昭和34年 | 1959 | 胸の大手術を受け1年入院 | |
昭和36年 | 1961 | 9月12日、心不全にて急逝(63歳) |